涙はどうして流れるのだろう。

 トランスフォーマーたちにとって、涙は全く縁のない余計なものである。バンブルビーのようにおふざけで目からウォッシャー液を流すことはあるが、原則として彼らは涙というものを知らないのだ。それもそうだ、必要ないからだ。そもそも人間だって、どうして悲しかったりめちゃくちゃおもしろかったり、嬉しかったり痛かったりすると涙が出るのかはっきりとはわかっていないんだ。ただ別に分からなくてもいいような気がする。嬉しい時や悲しい時に涙が出れば、わかりやすい、っていう理由だけで、涙が流れればいいと思う。

 

 今僕がいるところはトラックの助手席。運転席には、触れると通り抜けるホログラム氏がいらっしゃる。そうして僕が乗っている車の名前はオプティマス・プライム。別に車種ではない、本当の彼の名前だ。ついでに言っておけば、僕は自分の車に名前をつけて呼びかけたりしている痛い人間でもない。
 彼は喋るし思考するし、なんなら自ら行動だってする。

 バンブルビーが忙しいため迎えには来れない、という情報は朝の時点で聞いていた。最近ビーに会ってないな、と思い、ちょっとだけ困らせてやろうとビーに連絡を入れた。来てくれないと一生家に入れてやらないぞ、なんて子供みたいな文章を彼におくって、自分はそのまま飲み会にいそしんだ。

 飲み会が思いのほか盛り上がっちゃって、気付けば夜中で帰る足もない状態。レオは彼の友人の家に泊まると言って、お前も来るかと問われたけど、ハブを出た僕を待っていたのはファイヤーペイントの施されたトラックだ。

 見覚えのあるその車に、レオは「お迎えあるじゃねーか」とにやにや笑って僕を小突いた。僕はまさか彼が来るとは思わず、暫く思考が止まったが、プップ、とクラクションを鳴らされて、僕はふらふらとそのトラックに近づいた。

 運転席のホログラムには見覚えがあった。僕は車に乗り込んで、どうしたの、とただそれだけを問いかけた。彼は車を発進させると、静かな声で、バンブルビーが悲しんでいた、と告げた。

「ビーが?ビー、ビー……ああっそうか、今朝送ったメール!」
「彼は今遠方に居て君を迎えることがどうしても叶わなかった」
「それで、どうして君が来るの」
「バンブルビーから頼まれた。自分は行けないが、あなたならばサムもきっと機嫌をよくするだろうと」
「……、へ、へえ」
「どういう意味か分かるか、サム」

 わかるけど教えたくない、というのが僕の見解である。

 ほんの数日前、久々に会えたバンブルビーに告げたのは三点。最近オプティマスが妙にかっこよく見えること、彼を考えると時々胸が痛くなること、君たちにとって人間は恋愛対象であるのか、ということ。それだけ聞けばどんなバカでも気付くだろう。バンブルビーは最後の問いに、どこかのドラマから引っ張ってきた音声で、『好きになってしまえば種族だって性別だって関係ないわ!』と応えた。けれど種族の壁も性別の壁も、どちらにせよ僕にとっては大きすぎるものだ。心理的な意味だけでなく。

 僕はとりあえず、「君みたいにすごい人が行けば僕が機嫌を悪くすることはありえないとバンブルビーは思っているに違いない」と答えた。なんて迂遠なな表現だ、と言った瞬間気付いたが、そんなことはどうでもよかった。この時ばかりは自分のばかみたいにまわる舌をありがたく思う。

 今分かることは、ひとまず。バンブルビーは僕の恋に肯定的であるということだ。

 車で寮までの帰り道をたどりながら、僕は小さく息を吐く。バンブルビーをちょっと困らせたかっただけなのに、逆に自分が困ることになった。本末転倒とはまさにこのことだ。今度会ったら小突いてから、よくやったと褒めてやろう。喜ぶバンブルビーを思い浮かべて、ちょっと笑った。

 オプティマスは至極安全運転である。車体は小さく揺れるばかりで、安いアルコールの回った僕の身体をそっと包み込む。車内は程よく温かい。段々ととろけてきた脳みそに、視界はぼんやりとにじむ。くあ、とあくびをかみ殺すと、じわりと水が目ににじんだ。

「サム。眠いなら眠るといい」
「いいや。君と話していれば大丈夫」
「……ならば、話してくれ。サムのことを」
「僕の?いいけど。退屈だよ。まずはー最近ミカエラにフられた。それから合コンとか飲み会ばっか行ってる。酒の飲みすぎで喉が痛いー……あとは、そうだね、君が好きだ」

 え。

 は、と息を吐く。空気が凍るのが感じ取れた。僕は今――なんといった。彼に好きだと言わなかったか。

 何も言わないオプティマスが怖くなって、僕はあわてて「ごめん、うそ!今のなし!」と言いたい気分になったけれど、言葉が口から出てこなかった。あふれ出るのは瞳から、後悔という名の液体だけだ。

「サム……?」
「……ぁ、ああっと、ごめんオプティマス僕ちょっと用事を思い出したから、ここらへんで下ろしてよ」
「だが、」
「大丈夫だいじょうぶ、バンブルビーのあれはちょっとからかおうと思っただけで」

 それから今の言葉も。堅物の君をからかおうとしただけで。
 どうにかそんな言葉を絞り出すと、信号が止まった隙を見てトラックからあわてて降りる。そうして、一目散にその場から逃げ出す。後ろを振り向いたら、もう一生涙を止めることは不可能な気がした。

 

***

 

 レオのいない部屋は静かだ。パソコンが唸る音だけが静かに響く。後悔の念は涙腺を通して僕を異様に苛んだ。涙があふれて止まらない。人は悲しい時や嬉しい時に涙を流すけれど、この涙に名前をつけるとしたらなんだろう。後悔した時、人は涙を流すだろうか。それとも、オプティマスにフられたから悲しくて泣いているのだろうか。あるいは、どのような形であれ彼に思いを告げることが出来て嬉しいから泣くのだろうか。この感情に名前をつけたところで、とどまる涙ではないけれど。

 例えばオプティマスが、年下のかわいい女の子で、僕と同じ大学にいて、たまたま大学で隣同士とかになって、カフェとかでも偶然会うようになって、その内デートしたり、キスしたり、更にはその先の関係に至ることが出来るような人ならば。僕はここまで後悔はしまい。だってそれは普通のことで、こんな訳の分からない涙を流すことはないからだ。オッケーだったら嬉しくて泣くだろうし、だめだったら悲しくて泣くだろうし。ああほんとに、そんな未来ならどれだけよかったか。

 けれど、と僕は思う。思ってしまう。

 彼が普通の人間で、女の子であったならば。僕はここまで彼に惹かれることはなかっただろう。

 どうして彼を好きになってしまったんだ。ほかにも可愛い女の子は大学にごろごろしているし、なんならレオに誘われた合コンでいいと思う子はいやほどいた。

 けれどやっぱり、彼だ、オプティマスだ。エイリアンで、プライムの末裔で、バンブルビーの上司で、こんなにも矮小な僕を友人と呼んでくれる彼だ。

 オプティマスが好きだ。

 僕らは友達だった。それを壊したのは僕だ。たぶん彼は僕が望めばその関係を壊すことはないだろうし、僕だってたぶん(自信はないけど)彼に発情することもないだろうからその関係は維持できるはずだ。僕が死ぬまで。

 でもやっぱり、発情しなくても、オプティマスと致すことが出来なくても、僕は彼が好きで、そういう目で彼を見てしまう。固い指で僕の隅々まで触ってほしいと願ってしまう。そんな僕に耐えられないのは、僕自身だ。

 いつからロボットフェチになったんだろうと考える。あるいはエイリアンフェチ?金属フェチ?世界中をくまなく探せば、同志は見つかりそうな気もするけれど、それでもトランスフォーマーに恋をした人間というのは多分今のところ僕だけだろう。これからトランスフォーマーがどのように地球に展開していくのかは分からないけど、最初で最後の存在のような気もする。

 

 はあ、とため息が漏れた。涙は乾いたが、目は痛いし頭も重いし、ついでにいえば全身ダルイ。酒を飲んでしこたま泣いた女性が、次の日にけろっとした顔で学校に出ているのを見たことがあるが、あの根性はすごい、と妙なところで感心した。
 目を冷やして寝よう、と顔を上げた時、カーテンが揺れているのが目に入った。窓を開けて出て行っただろうか、と外を見ると、目があった。

「……、」

 思わずカーテンを閉める。は?と声に出した。そうしてもう一度カーテンを開けると、やはりいた。目が、合う。

「サム」

 途端、弾かれたように立ち上がって窓から身を乗り出す。なにしてるの!と叫びかける前に、彼は唇に手を当てて、シー、と言った。

「騒ぐな、サム。誰かが起きたら事だ。あと危ない、落ちる」
「君がこんなところでロボットになってる時点で十分事だよ!なに、どうしたのさ。おやすみを言い忘れたとか!?」
「違う。まあそれもあるが、サム、さっきの」
「だから!さっきのはきみを困らせる冗談だってば!」

 突っ返すなよ、と心の中で叫ぶ。オプティマスには届かなかったようで、僕の心を無視するように、さっきの言葉は、と繰り返す。
 聞きたくない聞きたくないと思ったが、オプティマスは容赦ない。どういう意味だ。続いた言葉のせいで、僕の緩み切った涙腺が再び涙を流し始める。

「だ、から。……性質の悪いジョークだ。君に好きだといったら、君は困るだろうと思った」
「ならばなぜ泣くのだ」
「泣いてない。目にゴミが入っただけ。さっきもさ」
「……人は、悲しい時や、嬉しい時に涙を流すと聞いた」
「そうだよ。あとは目にゴミが入った時とかね」
「サムは悲しいのか、嬉しいのか」

 どっちでもない、と叫ぶ。その言葉は本心だった。悲しくもないし、まして嬉しくもない。あえて言葉で表すならば、後悔、そして、恐怖。
 そう、恐怖。僕は怖い。彼から拒絶されるのが。優しい彼が、スパークを痛めながら僕をやむなく傷つけるのが、怖い。
 人は怖い時にも涙を流す。感情が大きくブレると、その均衡を保とうと涙を流す。僕の感情は今ぐっちゃぐちゃだ。ゆえに涙は止まらない。

「君は長生きだ、僕よりずっと。そしてたぶん、僕が死んだら君は僕を忘れるだろう。それでいい。君にとったらほんの一瞬の間、僕とおしゃべりをしてくれたら僕の一生は満足だ」
「……いいや、忘れない。我々のメモリーを侮ってもらっては困る。君の小さな脳みそよりも、何億倍の情報が入る。君の細かな動作も逐一覚えることができる」
「どっちかっていうと、忘れてほしい。未練が残るから」
「サム、私の話を聞いてほしい」
「聞かなくてもわかる。君は大事な友人だ」

 夜は深い。まるで二人を隠すかのように、月は姿を隠してしまった。静寂な闇の中で、静かな声と、僕の小さな囁きだけが辺りに響く。
 オプティマスは首を振る。そうではない、と口に出す。

「私はサム、君が好きだ」
「ありがとう。今夜はいい夢が見られそうだよ」
「友人として、ではない。もっと大切な存在として」
「……、へ」
「バンブルビーに、頼んだことがある。彼を介して君に聞いてほしいことがある、と。まだ答えは聞いていないが、あまりに卑怯だと思うのでやはり直接尋ねよう」

 サム。低い声が僕の名前を呼ぶ。それだけで僕の心臓はずくりと跳ねる。こんなにかっこいいオプティマスに惚れない人がいるだろうか。

「君たち人間にとって、私たちのような存在はどう映る」
「どう、って」
「私たちが怖いだろうか。異端だろうか、異常だろうか」
「そんなことはないよ。君たちはかっこいい、最高だよ」
「ならば君たちは、……特に、君は。我々を恋愛対象として見ることはあるか」
「……は?」
「恋をしたいと、思ってくれることはあるか」

 この問いかけを、オプティマスがバンブルビーにしたのはいつだろうかと考える。少なくとも僕がバンブルビーに打ち明けたよりはあとだろうか。前にしても後にしても、ああきっと、自慢の黄色いカマロは全てを知っていたに違いない。

 目の前がちかちかする。カッと顔が赤くなるのが分かる。ああもう、と一枚とられた黄色いカマロに舌打ちをする。もう、もう!
 ちょっとまってて。トラックの状態で!言い放って、あわてて部屋を出る。どきどきしてる。気を抜くと涙が出そうだった。

「オプティマス!」

 叫ぶと、トラックは僕のために扉を開けた。僕は乗り込んで、人のいない場所に、と言う。オプティマスは黙って走り出す。
 ハンドルに寄りかかって、そっとそれを優しく撫でた。車が珍しくがたりと揺れて、更に珍しく戸惑ったような声で「サ、サム?」と尋ねるオプティマスに、僕はおかしくてくるくる笑った。

 

***

 

 オプティマスが連れてきたのは近くの丘だ。人の来ないこの場所は、バンブルビーが暇な時を見計らってよく連れて来る。ネスト基地でも満足にロボットモードになれない黄色い友人は、そのためにこの場所が大好きであった。時々、同じく暇な友人たちや、双子を連れてきて、みんなで遊ぶこともある。町からは遠く離れているし、人の近づけない深い森を抜けたところにあるためか、トランスフォーマーたちもここではのびのびと過ごせる。そんな彼らの様子を見ることが好きだから、自然とこの場所も好きになった。
 オプティマスと二人きりで来たのは初めてだ。もう真夜中で、さっきまで隠れていた月がようやく姿を見せた。月さえ笑うようだった。

 オプティマスはロボットモードにトランスフォームをすると、サムの目の前に座った。そうしてサムを手のひらに乗せて、彼の名前を静かに呼ぶ。サム。

「オプティマス。さっきの問いに答えるよ。答えはイエス。つまり君たちを、トランスフォーマーを恋愛対象として見ることはある」
「……そうか」
「ただしそれは人間の総意って言うよりかは僕個人の意見なんだ。つまり僕は、」
「恋をしているのか。トランスフォーマーの、誰かに」

 低い声がいっそう低くなったのを聞いて、背中のあたりがぞくぞくした。地を這うような恐ろしい声は、それでもぼくの心と体を刺激する。そうだね、僕は恋をしてるみたい。言うと、オプティマスの目が釣り上る。

「誰だ。バンブルビーか。アイアンハイド、ラチェット?」
「どれも違う」
「……まさかメガトロンか?」

 やはり剥ぐかあいつ、と呟く声が聞こえて、あわてて否定する。流石の僕でもメガトロンに恋をするほどバカじゃない。違うよ違う、そうじゃない。ああもうじれったいなあ。

「面倒だからもう言っちゃうけど、オプティマス、キミだ」
「何がだ、サム」
「僕は君が好きだ、愛している」

 キスもしたいしそれ以上も出来るならば望みたい。けれどそれはまあ、追々考えていくとして。ぼくがにやにや笑っていると、面くらったようなオプティマスは暫く沈黙した後に、は、と短く排気した。そして、かしゃりと瞬いた瞳から、ぽたり、と液体を漏らした。

 え。思わず笑顔を引っ込めた僕が目をぱちぱちとさせていると、真似するかのようにオプティマスも目を数度瞬かせた。目から流れた液体は、まるで涙のようで。

「オプティマス、な、泣いてるの?」
「……我々は、感情プログラムが強く作動すると、オーバーヒートを防ぐために目から冷却水が流れることがある」
「なるほど……そんなに強い感情を抱いたの?今?」
「ああ。……とても嬉しい、サム」
「人間は嬉しかったり悲しかったりすると泣くけど、君たちも涙を流すんだ」
「そうだな」

 それがどんなに嬉しいことか。僕の涙腺はまたちょっとだけ緩み始めたけれど、それはすぐに、笑顔に変わった。
 オプティマスの涙はエネルゴンの色をしていて、薄い水色で、なめたらおいしそうな色をしていた。あまりに綺麗だったので、もっと見たくなった僕は、オプティマスの顔を呼んで彼の唇にちいさく口づけを落とした。

 ブヅン、という音がして、彼が暫く動かなくなったあとの話は、また別の機会に。

 

 


2013/4/8にpixivにアップしていたものを再掲.

よかったらいいね押してってください!
back