宇宙から来た金属生命体トランスフォーマーといえど、夢を見ることがある。人間でいう脳、ブレインサーキットの整理をオートにしてスリープモードに入ると、次に目が覚めた時整理の様子をぼんやりと覚えていたりする。それが彼らの“夢”。けれどそれはあくまで“記憶の整理”であって、人間のように己の願望や、実際にはありえないことなどを夢に見ることはない。
だったらこれは彼の夢ではなく僕の夢か、とサムは思った。明晰夢、というものである。夢を夢だと認識しているその状態で、サムは目の前のファイヤーペイントの施された機体を見た。
彼は大きい。元々大きいとされるトランスフォーマーの中でも彼は殊更大きかった。大きい上に強く、偉大だ。オートボットを仕切る彼の両肩にのしかかる責任はサムには想像できない。けれど彼はそれを感じさせないほど強大で、しかしその反面、ひどく脆い一面もあるように見える。死んでいった仲間に思いを馳せる時、オプティマスは砂のように崩れてしまうのでは、とも思う。圧倒的に無敵な彼は、ふと何かがあればぽっきりと簡単に折れてしまいそうに見えることが稀にあった。
その人の夢を見るということは、その人を想っているということだ、というのを誰かから聞いた。オートボットの誰かだったと思う。そのオートボットも、たぶん莫大なネットの海から拾ってきた情報をサムに伝えただけだったのだろう。彼らの主たる情報源だ。トランスフォーマーは正確には夢を見ないので、知識を仕入れたはいいが、その知識を発表出来るのがサムぐらいだったのではないだろうか。その知識は今、夢の中でサムに大いに役に立った。
ぼくが彼を想っている。それは確かに正しいだろう。サムはオプティマスを唯一無二の友人であると思っていたし、オプティマスも、きっと自分のことをそこそこは好いていてくれるに違いないと思う。サムはオプティマスが好きだった。友人として、家族として、仲間として。
夢の中のオプティマスは、何も語らず佇んでいた。真っ白な空間だった。ひたすら広がる無限の世界。ほかには誰もいない、何もない。ふわふわと雲の上のような場所で、オプティマスとサムだけがそこにいた。
「オプティマス」
サムが話しかけると、大きな彼はサムの方を向いた。バンブルビーを見る限り、ロボットといえど多少の感情の起伏はある中で、やはりオプティマスはそれが少ない方であった。一度激昂すれば誰も止められないほどに暴走することもあるが、それ以外では落ち着いた、穏やかなロボットだった。何かを守ろうとする時にだけ、彼は感情を波立たせる。
オプティマスは黙ってサムの前に跪いた。ぼくを持ち上げて、言うとオプティマスは黙ってそれに従った。
サムはもう一度彼の名前を呼んだが、オプティマスは怪訝な表情でサムを見るだけで特に何か言い返したりはしなかった。いつもは気さくに挨拶をして、そのまま雑談にもつれこむことも少なくはないのに。
声が出ないのだろうか。自分の声が出ない相棒のことを思い出して、サムは問いかける。
「もしかして発声回路壊れてる?僕の夢なのに話せないのかな」
君の声は知っているはずだけど、とサムが言うと、オプティマスは静かな低い声で「サム」とだけつぶやいた。水底にそっと染み渡るような声だった。なんだ話せるじゃないか、とサムが笑うと、オプティマスは僅かにたじろいだ。
何かに驚いている、というか、戸惑っているようだった。我が夢ながら変なオプティマスだ、とサムは思う。
「ねえオプティマス、何かあったの?」
「いや、何もない。きみが心配することは、何も」
「そう、ならいいけどさ」
それにしても。サムはオプティマスの機体を眺めながら息を吐く。僕の夢なんだから、傷ぐらい綺麗に直せればいいのに。
細かい傷がたくさんついたオプティマスの機体は見ていて痛々しい。このぐらいの傷は彼にとってどうとでもないということは理解しているし、もっとひどい怪我をしても、きっと彼は堪えないだろう。でも、そういうことじゃなくて。傷ついている友達を見るのは、ひどく居心地が悪い。
試しにサムは傷よ消えろ、と念じてみたが、オプティマスに変化は見られなかった。オプティマスはサムを持ち上げたまま、じっとりと彼を眺めるだけだ。その視線に気付いたサムは、不思議そうに首をかしげ、なに、オプティマス、と問いかけた。
「いや、ここは、どこだろうと」
「ああ、たぶんぼくの夢じゃないかな」
さらりとサムが言うと、オプティマスは眉のあたりのパーツをくいと歪めた。――自分の夢だからだろうか、いつもよりオプティマスの感情が見えて、サムはほんのり嬉しくなる。
「夢。私たちは夢を見ない生物だが」
「だからこれは、ぼくが見てる夢だってば。あんまり深く考えても意味ないよ、夢だもの」
「そうか……分かった」
金属であることを除いても、異常に頭の固い友人が、深く考えないということが出来るのだろうかとサムはオプティマスの目を覗いた。その向こう側で、何かを処理している音が聞こえたが、その内ぴたりと音は止んだ。夢というワードを検索にでもかけたのだろうか、とサムが考えていると、オプティマスが急にサムの頬に触れてきた。
「、えっ。どうしたの、オプティマス」
「触れられている感覚、というのはあるのか」
「一応、ある。なんなら頬でもつねってみる?」
運がよければ目覚めるかもしれない、と笑いながら言うと、オプティマスは頬に触れていた手をさっとひっこめた。固い感触の、それでも不思議と心地のいい温度の指が離れていくのは少し惜しかったが、横目で見るにとどめておいた。オプティマスはふるふると頭を振りながら、とんでもない、とささやいた。
「サムが目覚めない限り、ここでは私たち二人きりだ」
「そうだね。何もないけど」
「確かに何もないが、そのかわり、争いも敵もない」
「そりゃ、最高」
くつくつとサムが笑うと、オプティマスが安心したように排気した。どうやら二人きりになることを嫌がられてはないらしい。そう安堵したオプティマスは、サムをそっと肩の上に移動させた。
「でもきみは退屈じゃない?」
「争いは、なければそれでいい。争うのが好きなのはディセプティコンで、オートボットはみな平和を愛する」
「ディーノやアイアンハイドは戦うのが好きそうなんだけど」
確かに、と思ってしまったのか、オプティマスは黙り込んでしまった。ああそれでも、彼らが戦うのは平和のためだ。結果のための経過の中で、戦うことにちょっと喜びを覚えただけで、心から望むのは平和だろう。そこがディセプティコンとオートボットの大きな違いだ。人間が嫌いだといいつつ、人間のために戦う赤い車を思い出す。彼が戦う理由はおそらくオプティマスと、平和だ。
オプティマスは不意にサムを見上げた。そうして疑問を口にする。
「サムは、私が戦うのが好きなのか」
「ええ?そんなわけないじゃん」
心外だ、と言わんばかりにサムが顔を歪める。戦わないで済むのならそれでいい。
「確かに戦ってる姿はちょっとかっこいいと思うけど、でもそれって、君が傷つくってことだろ?」
「まあ、そうだな」
「君にしろ、ビーにしろ、友達が傷つくのを見て喜ぶような人間だと思ってるのかい君は」
「いや、そんなことは」
ひどいな、とサムは心底傷ついた風を装って肩を落とす。サムは冗談を言ったつもりだったが、オプティマスはその言葉を実に真摯に受け取った。次にメガトロンと対峙する時は出来るだけ傷つかないようにしようと心に決めた。
「君が傷つかないで、僕と楽しく会話してくれるならそれが一番」
「つまり、今ということか」
「そ。最近は君もビーも忙しそうで、僕もけっこう、忙しくて、こんな機会なかったから」
夢でも嬉しい。サムは言う。オプティマスは、その点については沈黙のみで返す。オプティマスは、思考する自分が本当にサムの夢であるのか分からなかったからだ。深く考えるよりは、今を楽しもう、とオプティマスは思考した。
「私もだ、サム」
「ああでも、これが虫の知らせだったらやだな」
「虫の知らせ?」
「誰かの夢を見て、起きてみたら『あの人亡くなったみたいよ』、なんていうのは僕らの世界ではありふれたネタなんだよね」
それはいやだ、とサムはオプティマスの肩で小さくつぶやく。ふう、と吐いた息は重く震えていた。
サムは思い出していた。青い光が暗闇に染まる瞬間のことを。そのことを考えると胸がえぐれてしまったように苦しくなる。ぐうんと傾く大きな機体。何よりも強いと信じていた彼は、自分を守るために死んでしまった。胸を貫くブレード。人間よりも数倍も数十倍も優れている彼らはほとんど無敵である。それは間違いではなかったが、完全に正しいことでもなかったのだ。生きている限り死は誰もが通る道だ。そんな当然のことを、ことオプティマスになると忘れてしまいがちなのは、彼らが強靭な機体を持っているせいであろうか。
とにかく、大事な友人が死ぬのはもう二度とご免であった。
「僕は一度きみを失っている。あんなことには耐えられない」
「……サム、」
「誰も死なないでくれよ、頼むから」
こんなこと、現実では言えないのだ。彼らに死ぬなということは、ひどく傲慢であるとサムは思う。それはつまり、生を縛るということだ。重く冷たい呪縛のせいで、苦しんでしまうのがサムには耐えられない。腕がもげ足が千切れ目を失い、身体の大半を失っても、それでもサムが死ぬなと言ってしまったならば、ビーやオプティマスは生きるだろう。苦しみながら、苦痛に耐えながら、果てしない時を生きるだろう。サムが死んでも、生きるのだろう。
サムにはそれが耐えられない。本音をいえばどんな状態でも生きていてほしいが、彼らのこころを、スパークを考えると、安らかに死なせてやるのもひとつの手だと自分を無理やり納得させていた。
死なないでくれ。祈るようにサムは言う。死があまりにも身近にあるオプティマスにとって、それはあまりに難しい願いだ。サムはバンブルビーの大事な友人で、更には自分の大事な友人でもある。そんな彼の願いは出来るだけかなえてやりたいとも思うのだけれど、中々難しいものだ、とオプティマスは思った。
サムは震える声で、沈んだ面持ちでオプティマスに問う。それは非現実的ではあるけれど、誰もが一度は考える選択だ。
「ねえオプティマス。もし、もしも今、メガトロンが和平を申し出てきたら君はどうする?」
「どう、とは」
「彼を許す?和平を受け入れる?それともやっぱり禍根は残るから、絶対に許さない?」
「恐ろしいことを言うな、サム。勿論受け入れるとも」
「でもいろんな人が死んだ。ジャズだって、メガトロンに殺された」
「確かにわれわれは大事な部下を失っている。それはディセプティコンも同じだ。失って初めて気付くことだってある。失ったから、それを恨んで前へ進まないのであれば、われわれは進歩しないままだ」
「……そっか」
「……それに、話してみれば、気が合うかもしれない」
友人だった。オプティマスは思い出す。サムとこうして語らうように、かの宿敵とも語らったことがある。笑いあったことがある。友人だった。少しのすれ違いは、やがて大きな齟齬を産み、惑星を滅ぼすまでとなった。
思うのだ。奴ともこうして、何もない空間で、ただ語らうことが出来たならば。
「メガトロンを許せるか、と問われれば、許せないと答えるだろう。だが、それから新しい関係を築くことが出来ないとは考えない」
「……ぼくもそんな風に考えることが出来たらなあ」
「きっと出来る。サムは優しいから」
「やさしい!?ぼくが?大丈夫か、きみ!」
何かがひどくおかしいというようにサムはけらけらと笑う。笑い転げた末、オプティマスの肩から落っこちて、彼の手のひらに不時着した時腰をしこたま打った。痛い、と思った。
空間がぐにゃりとゆがんで、サムは腰に響く衝撃で目が覚めた。ベッドから転げ落ち、そうして床に腰を打ち付けていた。子供かぼくは、と呟いて、たった今見た夢のことを思い出す。
あまりに鮮明に思い出せるので、それが夢か現か一瞬迷った。けれど世界中のどこを探してもあんなに白くて何もない空間はないだろうという結論をだし、あれは夢だったと考える。なるほどあれは夢だった。やけにリアルなオプティマスが出た夢だった。
「……本当に虫の知らせじゃないよな」
念のため、とつけたパソコンのメールを確認すると、彼の友人、オプティマスからメールが一つ届いていた。ただ一言、“今夜、会えるか”それだけだ。
**
あれは確かに夢だった。だが目の前のオプティマスは、確かに一言一句、まわりの情景も全て間違いなくサムに告げた。つながった、ということだ。サムの夢と、オプティマスが。
「でも君は、夢を見ないはずだ」
「確かに私は夢を見ない。けれどこれは、あるいは夢を見るかもしれない」
これ、と指したのは彼の胸にあるマトリクスだ。確かにマトリクスはトランスフォーマーではないし、詳しく解明されていないから夢を見る可能性だってある。マトリクスがサムとオプティマスを夢で繋いだ、というのがオプティマスの見解だ。
「なんでぼくと君の夢を」
「分からない。が、そうだな。最近……」
「最近?」
「……会いたいと願った。きみに」
「……え、ど、どうして」
「それも分からない。ただ、語らいたいと思った。その願いを、オールスパークに祈った」
そうしたら、君の夢に行くことが出来た。
不思議な縁であったと思うしかない。科学で説明出来ないようなことなんて、トランスフォーマーたちの他にもたくさんある。宇宙は広い、こんな不思議なことがあってもおかしくはない。
「まあ、愛の力ってことかな」
「愛?」
「僕もちょうど、君に会いたいと思ってたところだ」
に、とサムが笑うと、オプティマスは面喰ったような顔をしてから、一瞬だけ薄く微笑んだ。そうしてサムの腕に触れて、小さくつまんだ。オプティマスにとってはつまんだ、という表現が正しいが、サムにとっては巨大な鉄の塊に腕を掴まれた、が正しい。わめくほどではないわずかな痛みに、サムは不思議そうにオプティマス?と名前を呼ぶ。
「痛いか、サム」
「まあまあ痛いけど……ごめん僕にはそういう趣味はないんだ」
「……これは夢ではない、という確認をしたかっただけだ」
「ああ……なるほど」
サムも同じことをしてやろうと、オプティマスの巨大な足を蹴っ飛ばしたが、自分の足に大きなダメージを負うだけであった。
ねえオプティマス、とサムは尋ねる。
もしも。
「メガトロンをあの場所に連れて行くことができたら、」
きみたちは仲直りが出来るのかな。サムはわらう。オプティマスは、驚いたのち、少しだけ苦い顔をして、どうにも彼にはかなわない、と思った。
2013/3/30にpixivにアップしていたものを再掲.