本の束が歩いている。
メガトロナスはしばらくその光景を眺めた。本の束はメガトロナスの身長の半分ほどはありそうだ。それを抱えて持っている者の頭のてっぺんすら見えない。普段ならば無視して去るところであったが、メガトロナスが去らなかった理由はただ二つ。迷った、それから、あの本の束には見覚えがあった。正確には、束を抱える者に。
「オライオン」
「……えっ。え?あ、もしかしてメガトロナスかい?どうしてこんなところに?」
「……半分寄越せ」
オライオンは本の束を抱えたままごく自然に返事をした。まるで本の束と話しているようだな。メガトロナスは思って、半ば奪い取るようにオライオンの抱えていた電子書の束を受け取る。その奥から、ようやく見知った顔が見える。オライオンはメガトロナスと目が合うと、嬉しそうににこりと笑った。
「メガトロナス。君がここへ来るのはすごく珍しいね、どうしたの?」
「議会に呼び出されただけだ」
「ええっ。大事じゃないか、こんなところで何してるの!」
「……、迷った」
「ま……ははは!きみも存外、ドジだなあ」
こんなところで本の束に翻弄されているお前にだけは言われたくない、とメガトロナスは思ったが、音にはしない。これもこう見えて結構頑固だから、拗ねられると面倒だ。自分よりも幾分も背の低いオライオンを眺める。彼は穏やかに笑っていた。
「じゃあ、これを運び終わったら私が案内しよう」
「ああ、頼む」
「そもそもこの地に不慣れな君を、一人きりで来させるのが悪いよね」
「全くだ」
そもそも議会に呼ばれた理由も、どうせ大したものではあるまい。メガトロナスはふんと排気をもらす。
そんなメガトロナスの様子を見て、オライオンは眉を下げた後、そうだ、と明るい声を出した。
「今日は久しぶりに飲み明かさないか」
「なんだ、急だな」
「君に会えたのも久しぶりだし。いいだろう?」
「……まあ、構わないが」
「朝まで生討論、だね。これも久しぶりだ」
少し前のことを思い出す。オライオンが初めてメガトロナスと会った日は、一晩中、国の政治や経済、身分差や格差社会のことについて語り合った。オライオンにとって、メガトロナスの意見は斬新かつ革新的であり、その前向きな姿勢にひどく心を打たれた。メガトロナスは、オライオンのつたないながらも真剣に国を重んじる姿には舌をまくものがあった。お互いがお互いのことを尊敬しあい、自重しあい、しかし決して遠慮はない討論に、彼らは時の経つのを忘れてしまうほど熱中した。
あれは本当に楽しかった。オライオンはくすくす笑う。確かに、とメガトロナスも頷いた。
「あの時はこのまま二人で議論しながらオールスパークの元へ還るんじゃないか、って思ってた」
「それはいい死に方だな」
「だろう?」
今はこんなに穏やかなオライオンが、議論となると人が変わったようになるのだから侮れない、とメガトロナスは思う。
[newpage]
取り寄せた純度の高いエネルゴン酒を少し薄めて、酔わない程度にちびちび飲む。オライオンはめっぽう酒に弱かった。昔に一度ひどく酔っぱらってメガトロナスの家を半壊させたことがあってから、オライオンは酒をなめるように飲む。そんな様子は、傍から見ていて少し楽しいと、にやつく口元を押さえながらメガトロナスは思った。
議論を始めてから既に何時間経ったのだろう。いつものように白熱してはお互い酒を飲み冷静になって、再び熱く議論する。オライオンがようやく一杯の酒を飲み終えた頃、はたと気付くと、既に夜半を過ぎていた。いつの間にこんなに時間が過ぎたのだろうとオライオンが驚いていると、メガトロナスはどうかしたかと問いかけた。
「いや、君といると時間が経つのが早いと思って」
「そうか」
きっと楽しいからだろう。恥ずかしげもなくいうオライオンに、メガトロナスの機体は少し熱を持った。それからオライオンは再び口を開いたが、すぐに閉じ、また開く。そうしてこんなことをいう。
「メガトロナス、悪いが議論は終わりにしないか」
「我は構わんが……どうかしたのか」
「いや、ちょっともったいないと思って」
「もったいない?」
「君と会えるのも話すのも本当に久しぶりで、なのに私たちは国のことばかり案じている。そうではなく、例えば君のことを聞きたいし、私のことも聞いてほしい」
君を見ない間、面白いことがたくさんあった。オライオンはそう言って笑う。メガトロナスは、こもる熱を吐き出すように排気した。――熱いのはおそらく、酒のせいだ。そう結論付け、ではお前の話を聞かせろ、とメガトロナスは言った。
「なんでもないことなんだよ、本当に。私の家に鳥型ドローンの巣ができたとか、医学生の友人ができたとか」
「医学生……医者か。科学者なら知り合いにいるな」
「きみも顔が広いね」
「面倒なだけだ」
メガトロナスはぎゅっと顔パーツをしかめる。有名になればなるほど、近寄ってくる烏合の衆は彼の本心を見ようとはしない。都合よくのしあがるためのツールでとしか彼を見ない。
それを鑑みると、オライオンに出会えたことは奇跡に近いとメガトロナスは思う。
「そういえば、君は最近どうなんだい?」
「我か。……そうだな、最近闘技場で負けかけた」
にやりと笑ってそういえば、オライオンはかちかちと瞳を瞬かせる。君が?驚いたような声のオライオンに、メガトロナスは確かに頷く。
「強いやつだった。今度会わせよう」
「それは、うん、ありがとう。でもすごいね、メガトロナスに勝ちかけるなんて」
「だが最終的には我が勝った」
「うん、それもすごいけども」
子供の用に張り合ってくるメガトロナスにオライオンが思わず吹き出すと、彼は照れ隠しにオライオンの額を小突いた。
[newpage]
オライオンは窓から空を眺める。深い藍色の中に火花のように散った星がうるんでいる。綺麗だ、と思った。尊いとも。
星はオライオンやメガトロナスが生まれる前から存在する。自分たちより遥かに優れた存在だ、とオライオンは思った。宇宙のどこへいっても星は輝く。星はただ存在するだけで、彼らに勇気や希望を与える。それはとても、すごいことだ。
オライオンの偉大な友人、メガトロナスが目指すはそれである。最下層の者たちに、在るだけで希望となるような存在になるべく日々刻苦している。
――スクラップ置き場のような場所だ。
かつてメガトロナスはケイオンの炭坑場をそう評した。希望どころか絶望もない、夢を抱くことさえ無駄なことで、諦めもとうに過ぎた、死んだ目をした者しかいない。そんな場所で、メガトロナスは希望を目指した。戦って戦って戦い抜いて、その結果、今ではその名前を知らない者はいないほどの偉大な指導者になってしまった。
それに比べて自分はどうだ、とオライオンは自らに問いかける。国を変えたいと思ってはいるものの、メガトロナスほど大胆な行動にはでられず、書記官の地位に甘んじている。残念だ、とひどく悔しく思う。そうして同時に、強く思い知らされる。
彼との圧倒的な志の差を。
隣にいるのがひどく恥ずかしくなることが、極稀にある。けれどメガトロナスは、それを気にしない。身分差が嫌いなメガトロナスは、驚くほどオライオンに対して平等だ。本来ならばお互いの立場場、口を利くこともないほどであるにも関わらず。
劣等感を打ち消すように、こくり、オライオンは酒を飲む。そうして隣をちらりと伺い見る。メガトロナスは空を仰いで目を細めていた。その横顔に、オライオンはしばし見とれた。
はっとして、ふるりと頭をふる。そのあとに、何かを話しかけようとして、悩んでから、ぽつりと言葉が零れ落ちた。
「……星は、好きかい?」
「まあ、な。ただ、今日はよく見える、と思って」
「ああ、確かにいつもより澄んでいる」
はらはらと光る星たちは、今すぐ降り注いできそうなほど瞬いていた。綺麗だ。オライオンがいうと、メガトロナスも頷いた。ああ、綺麗だ。
「まるで君のようだ」
言った、オライオンの言葉は、流れた星と共に溶けて消えた。
[newpage]
よどみなく夜が明ける。月と星が隠れ、太陽が顔を出す。深い闇の空は次第に彼らの生命の色に染まっていく。エネルゴンをうすく溶かしたような色。命の色は、彼らを温かく照らした。
長いこと飲み続けてたオライオンとメガトロナスは、半ば落ちかけている意識の中で取り留めのないことをぽつぽつと話し合っていた。愚痴のようなものであったり、面白い同僚がいる話であったり。ただそんな話もだんだんとなくなり、ふ、と糸が切れるように二人の間に沈黙が流れた。
もう朝か、とメガトロナスがつぶやくと、オライオンは夢見心地でこんなことをいう。
「メガトロナス。私たちは出会って間もないけれど、本当に、スパークで繋がりあったような友人であると思っている」
「ああ、そうだな」
「明日も、明後日も、来年も、何百年経っても。星々が存在する限りずっと語り合いたい」
「我もだ、オライオン」
「私は君を絶対に裏切らない」
ぼんやりと眠そうなのにこんなことを真面目にいうオライオンがどうもおかしくて、メガトロナスは茶化すように「それはどうだろうな」といった。
「案外おまえのようなやつほど我を裏切るやもしれん」
そういってメガトロナスは笑ったが、それは全くの本心であった。自分と出会った頃から、オライオンには自分とは何か違うものをみた。そしてそれはおそらく、自分が最も求めるものにほど近い。
裏切るならこいつしかいない。メガトロナスはそう思考する。そうして裏切られた時、最も心を動かされるのも、おそらくこいつだけだろう。
オライオンがメガトロナスの手から離れていく。そんなことを考えるだけで、彼のスパークは怒りで熱く燃えるようだった。
オライオンは、眉のパーツを小さく下げた。心外だ、と呟く。
「私が君を裏切るなんてありえない、メガトロナス」
「そうか」
「私は本当に君を大切に思っている」
「それは我とて同じだ」
「私たちは一緒にいるだろうね」
ああ、とメガトロナスはうなずく。そして言う。共に生き、二人で国を変えていこう。
オライオンにとって、それはどんな甘美な誘いよりも魅力的で、彼はしばしの間恍惚とした。
「我を裏切るなよ、オライオン」
「もちろんだ、メガトロナス」
オライオンは穏やかに微笑んだ。メガトロナスも、それに倣った。
***
ぽつり。欺瞞の王はつぶやく。
「絶対に裏切らないと、言っただろうが」
戦艦ネメシスから見上げる星は、ひどく濁った色をしていた。
2013/4/8にpixivにアップしていたものを再掲.