どうか、と思う。どうかこの時が、永遠に続きますように。

 びり、と頬が痛む。さきほど食らったブレークダウンの拳は、的確に私の頬をえぐったようだ。痛みは私のブレインに警鐘をならすけれど、エラーは全部無視をする。そうして目の前の”敵”に向かう。
 ブレークダウンは黄色のオプティックをぎらぎらと光らせて私を見ていた。口元がにやける。体中のあちこちから出る痛みをすべて無視してブレークダウンに走る、殴りかかるがかわされて、ついでに一発もらってしまう。

 ばぎゃ、とお互いのこぶしがお互いの頬をえぐる。嫌な音がした。痛い。上に、私の美しい身体に傷がついた。最悪だけど最高な気分だ。傷はあとで直せばいい、今はこの高揚感をくだらないことで鎮めてしまいたくなんかない。

 殴ったついでに私が爪で思い切りブレークダウンの頬を引っかくと一瞬だけ彼がひるんだ。その隙に、彼の巨体を支えている足を思い切り蹴飛ばす。彼はもんどりうって転んだ。けれどなぜ殴った私の足も痛まなくてはならないんだろう。同じ素材でできてるはずなんだけど。

 尻餅をついたブレークダウンの顔を思い切り踏みつける。さっきの仕返しです。二回ほどぐりぐりと踏みにじったところでブレークダウンは身体を大きくふって起きあがった。彼が身体をふった衝撃で、今度は私が倒れてしまう。

「おいおいもう終わりじゃねえよなあ?ノックアウト!」
「まさか。まだまだほんの序章ですよ!」

 殴りかかってきたブレークダウンを横に転がって避ける。すぐに立ち上がったけれど、間をあけずにブレークダウンの固い拳が胸の装甲にばきりと大きなひびを入れた。ぐ、と息がつまる。これは流石に、痛い。リペアを要求するブレインのエラーを全部無視して胸に触れると、ぺちゃりとぬれる感触。わずかにエネルゴンが流れ出ていた。ああすごくひどい傷だ。

「いい姿だぜ、メディックノックアウト」

 ブレークダウンはそういって私の腕を掴んだ。胸やら顔やらがぴりぴり痛むのをこらえながら、ぼやける視界で彼を捉える。ざざざ、とノイズのまじる視界の中で、彼はぎらりと笑っていた。
 細められた目がまるで三日月のようだと思った。

「ブレークダウン……?なに、を」

 彼は黙って私の腹あたりに足をかけた。にやにや笑う彼の笑みに、冷たいものが浮かんだ気がしてぞっとする。本能がだめだと叫んだ。それはだめだ、ブレークダウン。でも声にはならなくて、ぞぞぞ、とひやりとした何かが背中を駆け抜ける感覚に震える。

「ブ、レークダウン、やめ、」
「っ、ははは」

 いい様だ、ノックアウト。彼は再びそう言った。美しい、と続ける。その台詞に思わずくらりとする。落ちかけた。なんてことをいうんだ、と彼を見上げると、彼は熱っぽい目で私を見た。瞳の色がいつもよりもずっとあかあかとしていた。
 ああ、と思う。これはだめだ、止まらない。私の声など一切届いていない、自分の世界に入り込んでいる時のブレークダウンだった。だめ押しでやめて、と言ってはみたものの、暴走したブレークダウンの勢いは留まらず、ぎりぎりと腕の関節が悲鳴を上げ始める。おいおいマジですか。つう、と冷や汗が伝っていく。

 ぷつ、と。コードの切れる音がはっきりと耳に届いた。

「ぃいいっ、ぁ、あ゛……ッ!」
「聞こえねえぞ、ノックアウト。声出せよ」

 ブヂブヂブヂ、というコードの切れる音が私の耳鳴りでかき消される。甲高い機械音が私の中で悲鳴を上げていた。目の前がちかちかするほどの痛みに私は思わず声をあげるのも忘れた。私の目の前に現れる大量のエラーが、私が危険な状態であることをはっきりと示している。私の中にある感情はただ一つだけ。とても痛い、すごくすごくいたい、痛い!

 ばきん。

 彼は、私の腕を引きちぎった。

「っ、ぐう、う、……っふ」
「あ、やべえとっちった。悪いなメディックノックアウト」
「お前マジで最悪です、……」
「そうかあ?」

 彼は楽しそうにけらけら笑う。私の言っていることなどまるで理解していないのだ。痛みはコードを伝って直接ブレインを激しく揺さぶる。目の前ががくがく揺れて、視点が定まらない。そんな状態でも、思うことはたった一つ。

 これは、もう。
 こちらとしても腕の一本取ってやらないと気が済まないな。

 こんなにも激しい痛みの中、釣り上る口元が抑えられない。彼を恨む気持ちなどない。そもそもブレークダウンに悪意や憎悪などないのだ。ただ私が愛しくて、つい腕をもいでしまっただけなのだ。だから私も愛を以て、彼を愛してやるのが礼儀というものだろう。

 どうせ直すのは私だ。いくら壊したってかまわない。

「私だって、ただやられているわけにはいきませんよ」
「そんなふらふらのくせしてよく言うぜ」

 嗤うブレークダウンが妙に頭にきたので、最終兵器を使うことにする。ズルだというならいえばいい、それが私というものだ。
 特に決めたわけではないが、私たちがこうなる時は基本的に武器は使わないというのが二人の間にある暗黙の了解だ。己のこぶし一つで戦い抜く。野蛮ではあるが、平等だ。そんな約束事を破るのは胸が痛いが、しかしこちらは腕を一本失っている。多少のハンデでもいただかないとやってられない。

 腕からしとどに流れ出るエネルゴンをブレークダウンの目に向かってまき散らす。ぺしゃりとそれは彼の目にちょうどヒットした。うわっ、と目をこする彼の腕に、一発。

「うおおおおっ!?」

 ばちばちと弾ける電撃を食らった身体は、がくりと膝をつきそのまま倒れた。びくびくと痙攣している彼の顔を覗き込むと、悔しげな瞳が「それは卑怯だ」と語った。卑怯?当たり前だろう、私は黄色の瞳に語りかける。私達はディセプティコンなのだから。

「私の電気の味はどうだい、坊や」
「痺れるな」
「なるほど、そりゃいい」

 再びさっきのようにブレークダウンの顔を足蹴にする。ああやはり、高みから眺めるのは気持ちがいい。しかも、自分よりも大きな機体を持つ彼を。

「何か懺悔の言葉はありますか?」
「ねえな」
「よろしい。ではこの腕、いただきますね」

 腕を丸鋸に切り替えて、ブレークダウンの腕にあてる。一瞬だけいやそうな顔をしたが、変わらず身体は動かないらしい。今度はこちらがにやける番だ。
 ぎゅいいいいい、と音をたてる。彼の腕を切り離していく。ブレークダウンは時々くぐもった声と排気をするだけで、悲鳴はほとんどあげなかった。素晴らしい、私がいうと、彼はうれしそうな顔をする。ブレークダウンはほめられるのが好きだ。いや違うか、私にほめられるのが、好きだ。

 び、と最後まで切り終える頃には痺れもとれたようで、ブレークダウンはふらふら立ち上がる。これでイーブンだ。

「まだやるかよノックアウト」
「ここでやめるんなてあり得ませんね」
「だよな」

 笑いが止まらない。スパークがばくばくと高鳴っている。興奮、している。まるでエネルゴン酒を一気のみしたかのようなこの高揚。

 殴りかかる。反撃される。あとはひたすら、彼に殴られ、彼を殴り、お互いぼろぼろになって、足がふらふらして、意識が朦朧とするまで戦うだけ。

 

***

 

 殴りあう。そうして私たちは確かめあっている。なにを、と聞かれると困るけれど、何かを、だ。
 たとえば愛とか。
 生、とか?

 生を確かめるのになぐり合うことほど適したものは他にはない。流れ出るエネルゴンや、じくじくとした鈍い痛みが体中に響いて、凄絶に生を感じる。私は生きている。生きているから、殴られることができる。傷つくことができる。
 でも私とブレークダウンの殴り合いは、そういうものとは少し違った。私たちは生を確かめ合っているわけではない。かといって愛かと問われればそうでもなかったりする。(殴り合う以外にも愛を確かめあう方法はありますしね)

 強いて言うならば、私たちはお互いを感じあっているのだと思う。

 殴り合う、っていうのはつまり、相手がいないと出来ないことだ。しかもこんな私のこんな酔狂に付き合ってくれる奴なんて、酔狂なブレークダウンくらいしかいない。お互いが大事すぎて、見えなくなる前に確かめ合う。私はここにいる、ということを猛烈に相手に伝え、相手を間近でひしと感じるために。

 だから私たちは殴り合う。お互いを感じるために、お互いが死んでも構わないという覚悟で。

 

 ブレークダウンが勢いよく振り上げた拳が、私の腹にあたって私は勢いよくふっ飛ばされる。ひゅ、と風を切る音が耳元でしたと思えば、背中に強烈な痛みが走り、衝撃。私が壁にぶちあたる、どごぉ、という音は、戦艦内を小さく揺らした。ついでに余波でリペアツールがいくつかぶっ壊れた。割とやばい。ああこれは、怒られるフラグ。

 逃げようとしたけれど体中が痛くて動かない。ブレークダウンをちらりと見れば、彼はまだ気付かないようで煌々と瞳を光らせて私を見ている。お馬鹿、あの犬。興奮している彼には聞こえない。私の耳には聞こえる。かつこつと、近づいてくる足音が。

 サウンドウェーブかスタースクリームか。スタースクリームならうまくごまかせるが――果たして神は、我々に味方しなかったらしい。

 ビイイ、とリペアルームの扉を開けた先にいたのは、我らが情報参謀殿である。バイザーの奥には、目には見えないけれど確かな怒りが垣間見える。

「ノックアウトおおお!……お、おお、おおおっ!?」

 興奮冷めやらぬ様子で尚私に向かってこようとするブレークダウンを、サウンドウェーブは例の触手で掴んだあと私とは反対側の壁に放り投げた。ぽーん、とあの体積と重量からは考えられないほど軽やかにブレークは弧を描き、さきほどの私と同じように、どごぉ、と床にめり込んだ。今度こそはっきりと戦艦が揺れた。ブレークダウンがバカすぎて素直な笑いが漏れる。本当に一つのことに集中すると何も見えなくなるんだから。

 冷静になると、腕と胸と腹と顔と、全部がずきずきと痛いことに気付いてしまう。これは厄介だ、と思い、内側からせり上げる嫌悪感をべっと吐き出す。吐き出されたエネルゴンには不純物がいくつか混ざっていた。内臓が壊れて、正しく機能していないということだ。

 サウンドウェーブは私に近づくと、あの細い腕のどこに力があるのか、がつんと私の頭を殴ったあと、メガトロンの声でこう告げた。

「『戦艦を壊すな』『愚か者めが』」

 どうやら彼にとって、私たちの怪我よりも戦艦の故障の方が比重が高いらしい。まあそれもそうか、と思う。
 それだけ告げるとサウンドウェーブは部屋から出て行ってしまった。

 

***

 

「ハイ、ダーリン」

 めり込んだ床と、そこにうつ伏せになって死んでいる助手に声をかけると、彼はふるふると震えたのち、うがああああ!と唸り声をあげて彼は勢いよく起き上がった。そうしてそのまま、ずかずかと私に近づいてくる。
 まさかまだ戦い足りないのか。いい加減体の自由が利かなくなって焦っている私の前までくると、ブレークダウンは、ふにゃりと眉を下げた。

「スマン、ノックアウト。またやっちまった」

 そうして、片方しかない腕で私を抱きしめる。

「ほんとにごめん」

 腕をもぐつもりなんかなくて、とブレークダウンは言い訳を始める。ごめんごめんと何度も謝るブレークダウンが可愛くて、つい私もいいですよ、なんて言ってしまう。本当は痛くて痛くてたまらないし、実は腕をとることはなかったんじゃないかってちょっと苛々してたけど、彼にあんな顔と声で謝られてしまえば許さざるを得まい。

 私が許容の言葉を口にすると、ブレークダウンの表情は目に見えて明るく染まる。かわいい。

「よおおっし、じゃあオレがノックアウトのリペアしてやる!」
「その前に私があなたの腕を直さないといけないでしょうね」
「お?……あ、そーか。オレも今腕ないのか」

 残された片方の腕をわきわきと動かしながら、今更思い出したようにつぶやく。やっぱり馬鹿だこいつ。だけどそこが、いい。

「痛みはありますか」
「あんまり」
「そう、それは何より。私の腕がいいんですね」

 強引に引きちぎられた私の腕とは違い、ブレークダウンの腕はすぱっと綺麗に切られている。同じくっつけるにしても、こっちの方が遥かに楽なのは言うまでもない。
 ブレークダウンをリペア台に寝かせる。麻酔はいるかと問えば、いらないと返ってきた。オレだけ痛くないのはずるい、と子供のようなおかしなことを言った。私は笑う。そうして麻酔を使わずに、彼のリペアを始めるとする。

 

 

「グッモーニン、ハニー」

 私を呼ぶ声がして、目を開くと目の前にブレークダウンがいた。終わったぜ、と清々しい表情をした彼はにこりと私に笑いかけた。とられた腕を見ると、しっかりくっついている。動かしてみるが、神経にも問題はないようだ。

「それにしても今回は一段と派手にやったなあ」
「ほんとですね。日を増すごとにひどくなっている気がします」
「いずれこっから追い出されんじゃねえの、オレたち」
「彼らにとって私は大事な医者ですから、追い出されるのは確実にあなたでしょうね」
「ええ!?そりゃねえぜ!」

 がん、とショックを受けているブレークダウンに、笑いながら私はそっと寄り添う。

「大丈夫ですよ。私はあなたと一緒についていきますから」

 離れてなんかやるものか。私の中の黒々としたものが叫ぶ。手放してなんかやるものか。私の元から離れさせてなんかやるものか。

 私たちは殴りあう。そうして確かめ合う。ブレークダウンの心はまだここにあるかと問いかける。ある、と彼は返す。俺の心はお前に向いているということをひしと感じる。けれど不安はぬぐえないのだ。殴りあってもすぐに私の中に黒々としたものが再び生まれて、また彼を感じたくなる。
 厄介なものだ、と思っていると、そりゃよかった、とブレークダウンが屈託のない笑顔で言った。

「オレはあんたがいれば他は何もいらねえな」
「……、どうも」

 彼に限って、他意はないのだろう。私が抱えている黒いものとは真逆の、全くの本心である。それはそれで嬉しい、けれど。
 時々ふと思う。彼がこう言うのは私だけじゃなくて、他にも平等にこんな態度を示すのだとしたら。

「……ブレークダウン。ちょっと、ひっかいても、いいですか」
「えーまだやんのかよ」
「痛くないです、痛くは。たぶん」

 彼の腕をとって、そっと爪を立てる。痛みを感じない程度に、うすく引っ掻くと、軌道は白く細い線を描いた。ブレークダウンはくすぐったそうに身をよじる。かゆいなそれ。言って笑う。

「あなたを傷つけるものはたくさんあるかと思いますが、あなたを直せるのは私だけですからね」
「当たり前だろお?」

 彼は分かっていないのだ。それが私にとってどんなに意味を持つのか。

 ぐ、と少しだけ力をこめて引っ掻くと、彼はいてえよ、といって私をたたく。むっとして私は、思わず拳を握りしめて、彼の頬を殴ってしまったのだった。

 

***

 

オマケ。

 今回は早く終わった、とブレークダウンは思う。さきほどの傷もあってか、ノックアウトは数回殴っただけで伸びてしまった。意識を失ってしまった彼を抱き抱えると、ブレークダウンは部屋を出る。とりあえず自室に寝かしておくか、と考えたためである。ついでにちょっと、邪な考えもあったりなかったり。

 傷のついたノックアウトの機体を眺める。本日二度目ということもあって、彼の機体は満身創痍だ。リペアできたのは腕だけで、他はもっと時間をかけてゆっくりやる必要があった。彼に刻まれた全ての傷をつけたのは自分である、という事実にブレークダウンはにやりと笑う。

 こいつは分かっていないんだ。それがどんなに嬉しいことか。

 オレを直せるのはメディックノックアウトだけだけど、こいつを傷つけていいのはオレだけだ。ブレークダウンは満足げに呟いた。

 

 

 彼らは気付いていないのだ。それが愛であるということに。

 

 

 


2013/4/8にpixivにアップしていたものを再掲.

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