※共学パロディ、クラスメイト設定
ファンなんです、とその人は言った。何を描くでもなくキャンバスに色を重ねているだけの私のところにやってきたその人は、クラスメイトのアズール・アーシェングロットくんだった。
言われた言葉が一瞬理解できなくて、数秒黙り込んでしまうと、彼は更にこう続ける。「なまえさんの描く絵が好きなんです」と言う割に、彼の態度は平然としているように見えた。ファンって憧れの人を目の前にしたらもっとこう、どぎまぎしたり、視線がうろついたり、頬が赤らんだりするものだと思ってたけど。彼は教科書を読んでいるかのように私にハキハキそう告げた。
「えっとー……どうもありがとう?」
「つきましては、僕と契約しませんか?」
「なんで?」
「どうしてもあなたの絵が欲しいんです。そのために、僕があなたに提供できるサービスの一覧をまとめてきました。まず一つ目ですが、」
「べつにそれぐらいタダでいいけど……」
「タ、タダ!?」
「どうしてそんな嫌そうな顔を……」
私がタダと口にした途端、彼は身体を大げさにのけぞらせて悲鳴じみた声をあげた。まるで私が百万円だとでも告げたような態度だ。(とはいえ彼にとっては百万円要求された方がマシだったかもしれないが。)タダより怖いものはない、なんて言葉はあるけど、私からすれば、タダでもなんでも貰えるもんは貰っとけ、である。
彼はずれた眼鏡を直し、首をゆると振った。
「いえ、いいえ。無償で貰うわけにはいきません。なんでもいいんです、テストの対策ノートでも、授業の代行でも、モストロラウンジの食事券でも」
「ぜんぶいらないですけど……」
「どうして……」
これではまだ足りないのか、とか提案書の見直しを、とかブツブツ言っているが、彼は根本的なところを理解していない。率直にどれもいらないのだ。もっと言えば、私の欲しいものは私しか得ることができない。それ以外のことは、私にとっては同列に、些末でどうでもいいことだった。
かといって、彼がそうやすやすと引き下がるようにも思えない。バージョンアップしたサービス一覧ver2を携えて後日再びここを訪れることは目に見えていた。
仕方なく、貰った資料を適当にパラパラめくる。私のファンであるなどと豪語したのに嘘はないらしく、たかだか絵一枚の対価にしては相当破格な内容がずらっと並べられていた。(中には法律スレスレのものもあったが見なかったことにした)この中で、比較的受け取っても罪悪感の湧かないものというと。
「あー……なら、ランチを、奢って」
「そ……んなことでよろしいので?」
「よろしいです。……一応聞くけど、何の絵がいいとかある?」
「えっ。リクエストをしても?」
「うん?まあ、描くもの決まってた方が描きやすいからね」
「……なら、海の絵を」
お願いできますか、と、目線を落としてアズールくんは言う。さっきまで素知らぬ顔だったのに、変なところで照れるんだなあ、なんて思う。
*
いつも昼食を共にしている友人たちに、「今日はアズールくんと食べるから」と告げると、三人揃って全く同じ顔をしたのでついつい吹きだしてしまった。きっと彼女たちの頭の中は、色っぽい話題と黒い話題とが入り乱れて、洗濯機みたいにぐるぐるまわっていることだろう。実際はそのどちらでもない。
とはいえ本当のことを言うわけにもいかなかったため、「この前飛行術の時に少し手を貸したらお昼奢るってきかなくて」と事前に準備しておいた答えを口にする。するとスカラビア寮生の友人が、「そういえばバイパーも似たような目に合ったって聞いたことある」と言ったことで、皆が納得し、ようやくいつもの雰囲気に戻る。
気を付けてね、健闘を祈る、嫌なことは嫌って言うんだよ。三者三様の言葉を背中に受け、食堂へ向かうと、彼は入口付近でじっと待っていた。声をかけると、では行きましょうか、とさっさか先へ行ってしまう。
奢ってもらえる、と分かると、いつも食べないようなものに挑戦したくなるのが世の常だ。日替わりメニューはペペロンチーノだったが、それには目もくれずに、かねてよりずっと気になっていたものをトレーに乗せる。アズールくんが奇妙なものを見る目でこちらを見た気がしたが、気にせずサラダと飲み物とスープを取って、終わりだ。
アズールくんも選び終えたところで、彼が私の分を指し、「会計は一緒で」と言ったので、周囲が少しざわついた。絵の対価にランチを選んだのは失敗だったな、と今更ながら気付く。私が奢るならいざ知らず、彼が奢ったことにより、きっと色っぽい噂に軍配が上がることだろう。
席につくや否や、「よろしいので?」とアズールくんは言いながら、サラダについているプチトマトをフォークで刺した。
「何が?」
「明日には僕たちが付き合ってることになっているかもしれませんよ」
「ああ……まあ、人のうわさは七五日というし」
「三か月ほどありますが」
「どうせそんなに持たないよ。学生の話題は山の天気より変わりやすいんだから」
そう返すと、アズールくんに買って貰ったサバ味噌サンドにかぶりつく。珍しいサンドイッチがあると少し前から気になってはいたのだが、味の想像がつかず手を出せずにいたのだ。
鯖の脂と甘めの味噌がパンにじゅわりと染み込んで不思議な味わいである。パンよりごはんに合うこと間違いなしではあるが、まずいとも一概には言い切れない。
「美味しいんですか、それ」
「悪くないよ。一口食べる?」
「ごふ」
あ、間違えた。いつも友人たちとこういうやり取りをよくしてるから、ついそのノリで差し出してしまった。アズールくんは顔立ちもキレイめだし、所作も落ち着いているしで、男性性を想起させるパーツが少ないのだ。彼にヒゲでも生えてたら、きっとこんなことしなかったのに。
「ごめん事故った。忘れてください」
「お互いに」
口もとを拭う仕草も丁寧で、育ちのよさが伺えた。きっといいとこの坊ちゃんなんだろうな。サンドイッチを両手で掴んでかぶりついた私と違い、一口サイズに巻き取ったパスタを小さな口で食べる姿が絵になることこの上ない。
彼を絵に描くのは楽しそうだ、と考えを宙に浮かせていると、あのぉ、と間延びした声が二人の隙間にコツンと落ちる。
「ちょっといいっスか?」
声の主は無遠慮にアズールくんの隣に腰かけた。たしか……私の記憶が確かなら、サバナクローの副寮長の子だ。名前はわからないが、アズールくんがすぐさま「おや、ラギーさん」と言ったので判明した。
「珍しいですね、ご依頼ですか?」
「まさか。さっきから聞いてたんスけどォ……お二人って知り合いだったんスか?」
「知り合いというか……ただのクラスメイトだよ」
「じゃあなんでアズールくんがメシ奢ってんすか?んで、一緒に食べてるんすか?」
「ああ、そんなことですか。実は以前、飛行術の授業で彼女に世話になりまして、」
「そんなことはなかったぞ」
ほとんど音もなく、今度は私の隣に誰かが座った。こっちは知ってる、同じクラスのジャミルくんだ。よく考えるとみんな寮長か副寮長である。すごいメンバーに囲まれ出して生きた心地がすり減っていく。こうなったらひたすら無心でサバ味噌サンドの咀嚼と嚥下を繰り返すしかない。
どうしてだか、アズールくんは私の絵のファンだということを周りに言いたくないみたいで、こういう風に口裏を合わせましょうというのは事前に打診されていた。
気持ちは分からなくもない。同級生のファンだなんて、ちょっと気恥ずかしいもんね。彼の場合、思春期とか関係なく弱みになるようなことは秘密にしておきたいのだろうけど。
「俺はこいつらと同じクラスだが、前の飛行術の時、そんなやり取りは一切なかった」
「つまり、嘘ついてまで隠そうとしてるってことっスか?ますます怪しいっスねぇ……」
「アズールくん、この二人に恨まれるようなことでもしたの?」
「とんでもない」
心外です、と大げさな仕草で悲しそうなそぶりを見せる。そんなアズールくんを二人はしらっとした目で睨んでいる。
それとほぼ同時に、二人は私の方に目を向けた。アズールくんを相手にするのは分が悪いから、与しやすそうな方から攻略するか、という心の声が透けて見える。
「アンタもアズールくんの証言に嘘はないっていうんです?」
「それとも、やっぱりコイツの弱みをうっかり手に入れでもしたのか?」
「飛行術がへたくそなのは正しく弱みだと思うんだけど……」
「そんなのは周知の事実なんで弱みでもなんでもないんスよ」
「ちょっと」
怖い顔の二人に詰め寄られて、肌がちくちく痛むようだ。もともと、嘘をつくのはあまり得意な方ではない。このまま睨まれ続けたら、あまりの圧にやってもない罪を自白してしまうのも時間の問題だった。
助け船を求めてアズールくんの方に目をやると、彼は仕方がないといわんばかりに小さくため息をついた。出来の悪い部下を持った上司のような調子だが、元をたどれば全てが彼のせいである。私が労働者だったらデモを起こしているぞ、と強めに睨むが素知らぬ顔である。
とはいえ上司としての責任を果たすつもりはあるようで、彼はわざとらしく眼鏡をあげて、「ところでジャミルさん」と演技ぶった声を出す。
「あなた、先日の飛行術の途中で一瞬だけいなくなりましたよね?」
「……ほんの数分だ」
「数分だろうとあなたが把握していなかった時間は存在する、ということです」
ジャミルくんがくっと悔しそうな顔をする。彼は私の方をチラッと見て、本当なんだな、と念押しするように目で問うてきた。気分的にはジャミルくんを応援したいのは山々なのだけど、私としても、ここで本当のことを言うメリットはない。ごめん、と胸中で謝罪をして、先ほど思い出したとある証拠を彼の鼻先に突き付ける。
「ジャミルくんだって、アズールくんのこと手助けするために願いを要求されたことあるんでしょ?」
「まあ……そうだな」
「ラギーくんは?そういう経験一回もないの?」
「いや。あるっスね」
「そういうこと。知っての通り、この人ほんとにめんどくさいんだよ」
演技ぶった彼に引きずられ、私も大げさな素振りでため息まじりにそう返すと、二人は確かにと納得して、なんだつまんね~と白けた顔で去っていった。面白いおもちゃになれなくて悪かったわね、と心の中でべろべろ舌を出す。
二人が見えなくなった頃、前の席から小さく「すみませんね、めんどくさくて」と拗ねた声がしたのでたまらず吹きだす。
「ごめんってば。誤魔化すのとか苦手でさ」
「いえ、元はといえば僕からの依頼ですから」
お気になさらず、と言いながら、彼はにっこりと胡散臭いまでの笑みを顔に貼り付けた。作り物のくせに、なんて嫌に記憶に残る顔だろうか。
嘘も本当もひっくるめて、興味深い人だ、と思う。先ほどちらっと思ったことを、再度改めて考える。
「ねえ、もし私がアズールくんを描いてみたいって言ったら、契約を結んでもらえるの?」
「……本気ですか?」
「たとえば。もしもの話」
「……そうですね。それなら、今度は僕にランチを奢ってもらいましょうか」
依頼自体は問題ないらしい。まだ正式にモデルにすると決めたわけではないけれど、面白いモチーフはいくらあったっていいものだ。
おもむろに、指先がムズムズ疼いてくる。鼻の奥で絵の具の柔らかい匂いがした。午後の授業を全てサボって、美術室に向かいたい衝動が体内から湧き上がってくる。
「ランチぐらい、いくらでも奢ってあげる。学内はめんどくさいからさ、学外のカフェに行ってもいいかもね」
言ってから、また迂闊なことを言ってしまった、と思ったけれど、意外なことに、アズールくんはまんざらでもないような顔で「悪くないですね」と言って笑っていた。
*
それから時々アズールくんは進捗を確認しに美術室に足を運ぶ。そんなに頻繁に見張らなくても、嫌になって放り出したりしないよ、とは言うのだが、信じられないのか、来る頻度が減ることはなかった。その内、そういえば私の絵のファンだったなと思い出して、進捗確認はただの口実で、絵を見たいだけなのかもしれない、と都合よく思うようになっていった。
絵を描いている間、アズールくんとはなんてことない会話をいくつかする。絵についてのことが多い。ここでこの色を使うのはなぜですか、とか、この場所にこの魚を配置しているのに意味はあるんですか、とか。あまりうまく答えられた試しはない。なんとなく、とかそのほうが収まりがいいから、とか返しても、アズールくんはへえと相槌をうつだけだ。質問自体、そこまで本気で聞いているわけでもないのだろう。実践的な絵画の描き方を知りたいのであれば、いくらでも本を読む人だと思う。
「ねえ。ひとつだけ聞いてもいい?」
依頼の絵ももう終盤に差し掛かる頃。どうしても彼に聞きたいことがあり、筆を進めながら聞いてみる。絵を描いてる時に私から声を描けることは滅多にないので、アズールくんは少し意外そうにしながら「構いませんよ」と答えた。
「ここへ初めて来た時に、私の絵のファンって言ったけど……私の絵なんか、一体どこで見つけたの?」
ずっと気になっていたことだった。いくらでも聞くタイミングはあったと思うのだけど、なんとなくずるずると引き延ばして今になってしまった。こういう風に、静かに二人の時間を過ごすのもあと僅かだから、聞いておかなくては、と思った。
アズールくんはなんてこともなさそうに、「去年の絵画コンクールで」とサラリと答えた。やっぱりそうか、と思うのと同時に、私は壮絶で奇妙な心地に包まれる。
つまり彼はーーあの絵を見て私のファンになったということだ。
あの絵。
私史上最悪な出来のソレ。
どうしてそんなことになったのか一つも理解できなくて、筆を滑らせる手が止まる。筆の行く先を見つめていたアズールくんは、そのまま私の指先を辿ってこちらへ目を向けた。
「なまえさん?手が止まっていますよ」
「……もっといい絵がいくらでもあったでしょ」
「そうでしょうか?少なくとも僕は記憶していません」
「そんなはずない。だってあの絵は、一番じゃなかった」
たった一年前のことなのに、その記憶は随分遠いところにいる。
絵を描くことはずっと好きで、好きで好きで、物心がついた時からこれは私の全てになると確信していた。絵を描けさえすれば人生は満足で、三大欲求のずっと上に絵を描くことがあった。そんな私の思いを神様はくみ取ってくれたのか、幸運なことに、ナイトレイブンカレッジに入るまではどんなコンクールでも一番以外とったことがなかったのだ。
この学園に入って最初のコンクールに向けた絵だって、当然同じくらいの熱量を以って描き上げた。手を抜いたつもりは一切ない。もう一度描けと言われても難しいくらい、私の人生で最高の出来の絵であった。
だというのに。その絵はあっさりロイヤルソードアカデミーの一年生に抜かされてしまったのだ。
その子は絵の初心者で、初めて描いたけれど先生や先輩にたくさん教えてもらえて、と嬉しそうに話していたのが、もうずっと脳の片隅に居座っている。
あの場所で、皆が一番の子の絵を鑑賞していた。初めてでこれだけ描けるなんて天才に違いない、と褒めるのを、私はどこか違う世界の出来事のように聞いていた。
私の絵の前には誰もいなかった。
一番じゃないだけで、絵はいくらだって床に落ちてるゴミと同等になれてしまうとその時初めて知ったのだ。
「くだらない絵だった。見る価値なんて一つもない」
「……僕はあなたの絵のファンだ、と言ったはずですが」
「どうだか。一等の子の絵を見たら、アズールくんだって考えを改めるかもしれない」
「そんなものは覚えていない、と言ったんです」
アズールくんが語気を強める。彼の手のひらが、音がするほどきつく握られるのが目の端に映る。
「僕はあの場にあった全ての絵に目を通しましたよ。ですが、これほど鮮明に覚えているのも、もう一度目にしたいと思ったのも……あわよくば手中に収めたいとすら思ったのも、なまえさんの絵だけです」
それではいけませんか、とアズールくんは静かな声で問うてくる。責めたてるようでいて、その実とんでもない口説き文句である。彼の一言一句が、私の鼓膜を甘く震わせる。私の身体の中に、じんと重たい香りの風がどっと通り抜けていく。
「僕ではあなたの描く理由にはなりませんか?」
わたしが行ったり来たりを繰り返す内にこんがらがって固まってしまった何かを、風はひと撫でして去っていく。くすぐったくて、あったかくて、眠たくなるようなやさしさだった。
こんな風に、誰か一人の心を奪ってしまったというのは、きっと画家名利に尽きることなのだろう。箸にも棒にも掛からない人からしたら、私の立場というのはあまりに恵まれたものだ。一生をかけて、一切の評価を受けられずに顔料の山に埋もれて死んでいく人もいるわけで。
彼の言葉に心をうたれ、変わっていくことができたらどれだけよかっただろう。けれど彼に言われたことで、逆にハッキリ分かってしまったのだ。
誰も彼も、私の描く理由になりえない。
私は私によってのみ絵を描き続けるのだ。
そう確信を得た途端、ふっと空気の漏れるような声が聞こえた。顔をあげると、アズールくんが俯いて肩を震わせていた。
「……アズールくん?」
「っくく……あっははは!」
「え、な、なに?」
「あなた、僕一人に評価されたところで満足にはとうてい及ばないんでしょう!」
突如笑いだしたアズールくんは、まるで子どもをあやすような声で、せりふで、私の横っ面をひっぱたいた。どうしてバレてしまったのか、動揺を隠すことができずに目を白黒させてしまう。いや、とかそんな、とか否定の言葉が零れ落ちたが、とうとう観念するしかない。私は元来、嘘をつくのが苦手なたちなのだから。
「ちがうの、その、本当に嬉しいとは思ってて、」
「別に気にしていませんよ。全く、心配して損した」
「し……心配?」
「あなたが今年のコンクールに出展しなかったという噂を聞いて、もしかしたらもう二度と絵を描かなくなってしまうんじゃないかと不安だったんです」
「あ……だから絵の依頼を?」
「ええ。……全くの杞憂だったみたいですが」
「わ、分かんないよ?描けなくなってたのは事実なわけだし、これが最後の作品になるかも……」
「ハ。ご冗談を」
アズールくんの言葉は、脳みそを直接掴んで振り回してくるようだ。一瞬でも気を許したら、あっという間に飲み込まれる。
「あなたは死ぬ瞬間まで絵を描き続けますよ」
そう言ってアズールくんは、満足そうに去っていった。それ、ちゃんと終わらせてくださいね、と言い残して。
もうほとんど完成に近い、彼の為に描いた海の絵を見つめる。実を言うと、この絵を描いている時からどんどん描きたいものが頭の中に浮かんできていた。あの人にはそれが分かっているからこその最後のせりふなのだろう。
何もかも見透かされてしまって、なんだか鼻持ちならない気持ちである。手足を放り出して子どものように地面をじたばたと転がりたいぐらいだ。どうにかして彼に仕返しできないだろうか、と考えて、ふと思い出す。
「……そういえば」
きっと捨ててはいないはず。ほぼ倉庫と化している美術準備室に向かい、探してみると、目当ての品はやはりそこにあった。あの時衝動的に燃やしかけたのを、先生や周りの部員が必死に止めてくれたのをよく覚えている。だめにしていなくてよかった。
「……なんだ、ぜんぜん悪くないじゃん」
アズールくんが惚れこんだ気持ちもよく分かる。なんて不気味で、鬱屈としていて、トリッキーな絵なんだろうか。一年前の私にできた最高の作品がそこにあった。
これは彼の手元にあるべきだろう。いらないって言われたら、今度こそ捨ててしまおう。アズールくんに貰われないなら、他の誰のものにもなってほしくはない。
後日、そんなことを告げながら二枚の絵を手渡すと、彼はぴたりと動きを止めてたっぷり三分は動かなかった。その後、絞り出すように「……対価を……」と言うので、試しに「なら、次の休みに海へ行こう」と誘ってみる。彼の後ろにいた双子のどちらかが、ひゅう、と軽やかに口笛を吹いた。アズールくん本人は不思議そうに首を斜めに傾げている。
「それが対価になるんですか?」
「それが対価になるんだよね」
それじゃあまた連絡するから、と手を振りその場を去る。アズールくんの両隣にいた双子が、彼に何か助言してるのが遠く聞こえる。
次の瞬間、焦った様子のアズールくんが私の名前を何度も呼んだ。いいのかな、そんな風にしていたら、きっとたくさん噂されてしまう。
私としては、全く願ったりかなったり、だけど。
2022/6/12日に開催されたnot監ウェブオンリー【My Another Story2】の展示作品でした。
最初はもう少し手心あるかんじのお話だったんですが(一番じゃなくても誰か一人が好きになってくれたらそれでいいんじゃないみたいな)、せっかくだしとNRC生っぽさみたいなのを追求したところとんだ強欲女になってしまいました。お似合いの二人なんじゃないかな。