本隊が検非違使に襲われた、との情報が伝達され、慌てて撤退命令を出したのがさっき。帰ってきた第一部隊のメンバーはそのほとんどが重傷あるいは中傷で、こっそりとため息をつく。これで何度目だろう。最近妙に増えてきたこの検非違使という強者にはどうしても勝てない。くやしい思いと、至らない主人で申し訳ないという思いがせめぎ合うが、そう落ち込んでもいられない。重傷者のうち、時間のかからない者から手入れを始める。重傷の太刀、大太刀、槍といき、次は中傷の打刀――長谷部と加州の二人が
残った時、はっと気づいた。
最近の度重なる検非違使との戦いで、資材の数は着実に減らされていた。もちろんそれでも鍛刀は出来るだけしないように、重傷・中傷になる前に退陣させたが、それでも検非違使は容赦なく僕の刀をえぐっていって。傷を直すのには大量の資材がいるのだ。今日は重傷者が多かった。
(資材が、足らない)
たらり、と汗がにじむ。資材倉庫には他に刀も眠っている。同じ刀を鍛刀しても、そこに既に顕現していればそれは人の形をとらない、ただの刀のままでいる。そういう刀を刀解すれば多少の資材は得られるが――それでも雀の涙である。
どうしよう、と悩む。残された資材で、手入れ出来るのはおそらくどちらか一人のみだ。一人はそのまま放置することになる。痛々しい打刀二人を見て、血の気が引くのを感じる。ああ、どうすれば。
加州は顔を伏せているが、その顔色は恐ろしく冴えない。ただでさえ彼は自分が美しくあろうとすることに余念がない。ボロボロで傷だらけの現状を、僕に見せることすら心底いやだろう。
長谷部は目を瞑ってじっとしている。背筋をぴん、と伸ばした正座のまま、微動だにしない。待っている。僕が、どちらかの名前を呼ぶのを待っている。
長谷部。反射的に、僕はその名前を呼ぼうとして、口をつぐんだ。加州と目が合う。その顔は、希望に満ちていた。おれを見て、と言っていた。ああ、と思う。長谷部。心の中で名を呼ぶと、まるでそれに応えるかのように長谷部はふいっと顔をあげた。
くすんだすみれ色が目にうつる。彼は美しい。怪我をしても、汚れても尚、その魂は高尚である。
「主」
は、と息を吐く。肺が空気を求めたが、うまく息を吸うことが出来なくて、はくはくと口が動くのみ。は、は、と荒くなる呼吸を沈めるように、穏やかな声で、表情で、それは僕に言った。
「俺はこのままで構いません」
とん、と加州の肩を押して、僕の方へと押しやった。長谷部はすくっと立ち上がって、ああ、きっと歩くことさえ辛いだろうに、何事もなかったかのように、気高く、部屋から出ていった。
残された加州は青い顔をしていた。おれ、おれ、と動揺する彼を落ち着かせるように、資材を手に、手入れを始める。
「至らない主人で、ごめん」
「おれ、おれこそ、怪我してごめん……ああ、なんでもっと強くなれないんだろう、なあ」
懺悔するように零す加州の震える手を握る。それはきっと、去っていった彼が今心から思っていることなのだろうなと思って、少し、つらい。
***
長谷部以外の全員の手入れが終わってひと段落していると、主、と襖の向こうから呼ぶ声が聞こえた。入れ、と許可を出せば、失礼しますと頭を下げながら入ってくる。
「今日の報告を」
「ああ……、あ?」
「どうかなさいましたか」
「……それ、って」
「……ああ、お見苦しいかと思いまして」
さすがに血のついたままではいられないと思ったのだろう、長谷部はいつも着ているシャツにカソックの姿ではなく、薄い紺色の着流しを着ていて、だからこそそれはひどく浮き立っていた。
腕に巻かれた真っ白な包帯。巻き方は雑で、がたがたで、もう今にもほどけてしまいそうなほどだった。わずかにそこに滲んだしみに、思わず顔をしかめると、長谷部はさっとそれを着物の裾で隠した。
「失礼しました、出直してきます」
「いいや、問題ない。……包帯を巻いて、直る身体ならばよかったのにね」
おいでといえば黙って近寄る。膝と膝が触れ合うか触れ合わないかの距離にいる彼は、なんだと目で訴えてきた。そっと腕に巻かれた白に触れれば、一瞬だけ硬直して、主、と諌めるような声が上から降ってくる。僕が少し触っただけで、雑に巻かれた包帯はすぐにほぐれはじめる。
「痛い?」
「いえ」
「じゃあ、僕に触られるのがいやかな」
「まさか」
「なら、せめて綺麗に巻き直させてよ」
僕に今できるのはそのぐらいなのだ。哀しいことに。
何が審神者だ、と思う。神を使役するのだからどれだけ偉いのかと思えば、傷ついた刀一つ自分一人では直せない。せめて彼らの痛みを少しでも分かち合うことが出来ればいいのに、とどれだけ思ったことか。
偉そうに指示するのは戦場に行ったことすらない初心なガキ、しかも人間だ。よくまあここの神様たちは怒り出さないものだと思う。よほど、人に大事にされてきた刀なのだろう。人のために生まれて、人と共に振るわれて、そうして、人の都合で消えていった。人のためにあることが俺らの性質です、だからあなたが心を痛めることはないんですよ、と前に長谷部は言ったけれど、そうなのかと割り切れるほど大人でもない。彼らは不幸にも、僕とおんなじ人間の形をしてしまった。もう僕が、彼等を刀と見ることなどできない。
震える手で包帯を外していく。もう少しで傷跡が見えそうだという時に、主、やはり、と長谷部は言った。
「見ていて楽しいものではありません、やめましょう」
「いいんだ、見せてくれ」
「主……、」
「これは、僕の罪だ」
言って、最後の包帯をとる。すっぱりと断ち切られた肉は、赤とピンクの中間みたいな色をして、僕の脳裏に焼き付けられる。
罪が目に見える形をとるならば、まさにこれだ。僕の知識と力量不足が招いた結果をまざまざと見せつけられる。痛いだろう、苦しいだろうに、長谷部はそれをおくびにも出さない。痛くない、苦しくないとさえ口ずさむ。お前のせいでとなじられた方がよほど気楽だった。
「嫌になる、ああ、本当に。他の審神者はどうして耐えられるんだろう。気がおかしくなりそうだ。長谷部、なあ、長谷部」
「はい」
「いつか君の名を呼んで、返事がなかったら、多分僕は狂うだろうね」
包帯を巻き直しながら、そんな言葉が口からこぼれる。それはあふれてとまらない。
さっき、加州と長谷部の二人が残った時、僕は思わず長谷部の名を呼びかけた。加州を先に直していいかと聞くつもりだった。なぜかといえば、彼はきっとそれを許すだろうと思ったからだ。長谷部の名を呼べば、彼は必ず応えるだろうと思ったからだ。
長谷部が僕を呼んだ時、正直ほっとした。僕の罪が目に見えて一つ消えた。そんなことを思って、嫌になる。本当に。
命と命を天秤にかけなくてはならない。今日はたまたまどうにかなった。でももし、加州と長谷部が命の危機にさらされていて、どちらかしか助けられない時がきてしまったら。
僕は思わず、長谷部の名を呼んでしまうかもしれない。そうして加州を選ぶかもしれない。長谷部、ごめん、死んでくれ、なんて言うのかも。長谷部ははいと返事をして、謝らないでというだろう。加州は泣いて謝って、僕も泣いて、僕が殺したくせに泣きわめいて、長谷部がもう返事をしないことに絶望して、死ぬのかもしれない。
ぐるぐると巻かれていく包帯を、長谷部はぼうっと眺めていた。巻き終えて、終わったよと一言かければ、はっとしたように僕を見た。
「主」
「なに?」
「主……」
「どうしたの、長谷部」
「俺も、主に呼んでもらえなかったら、死ぬかもしれません」
あっけらかんと、たった今とても大変な事実に気付いてしまった、みたいな真面目くさった顔でいうので、思わず噴出してしまった。なにそれ、いえば、俺は真面目です、と答える。
「例えばさっきじゃありませんが、俺と加州が二人で傷ついていて、どちらかしか助けられないという状況になった場合」
「うん」
「もし主が俺ではなく、加州の名を呼んだら、俺はきっとその時点で死にます」
「ぶは」
「加州、俺は長谷部を助けたいからお前が死んでくれ、と続くのだとしても、多分死にます」
「な、なんで」
「主の頭に」
巻き終わった包帯に包まれた手が、いつもはすましたように真っ白な手袋に包まれているすべらかな指が、そっと僕の髪をかきわけて、米神に触れた。ひやりと冷えた指先が、僕の頭を冷やすようで、冷静になれと言われているようで、不思議な感覚だった。
すみれ色の瞳はまるで僕が愛しいものであるかのようにうっとりと細められる。
「一番最初に思い描くのは、俺であってほしいと、思っています」
「……その結果、君に残酷な命令をするのだとしても?」
「主命であれば」
なんなりと。彼は十八番のセリフを言う。
「だから主は安心して、俺の名を呼んでください」
彼は笑った。静かに、優しく。それがまるで――死んでいく、ように見えたので、思わず手を掴んだ。一瞬だけ長谷部の顔が痛みに歪む。それがどうにも、ほっとした。痛みがあるということは、生きているということだ。
これは――罪だろうか。罪が形を作ったら、この男の形になるのだろうか。僕が彼に頼りすぎた結果、こんなことになってしまったのだろうか。
「ああ、わかった。そうしよう、絶対にお前の名を呼ぼう。だからお前も、長谷部も、必ず応えてほしい」
「主命とあらば」
「そう、主命、命令だ。破ったら切腹をしろ、お前の刀で介錯してやるから。分かったな。お前を殺すのは僕だからな」
だから死なないでくれと、言外に込めた。長谷部は思ったより嬉しそうな顔で、はいとただ返事をした。
2013/4/8にpixivにアップしていたものを再掲.