負けかけている。メガトロナスは久々に感じる焦燥にフェイスパーツをにやりと歪めた。連戦連勝、もはや彼に敵う者などいない、と謳われてから久しいが、まだこんな猛者が生き残っていたとは。剣闘士として、戦士として自分が倒してきた相手のことをふと考える。こいつは、今までのどの相手よりも、強い。
 負けかけている。
 だが、負けてなるものか。

 剣闘士としての意地である。ぽっと出の新人にどうして勝ちを譲ってやらねばならぬのだ。相手の表情はバイザーで覆われていて読めないが、それでも少しも焦っているようには思えない。排気一つ乱れてない。対する自分はどうだ。焦ってはいる。だが、いい焦燥だ。
 にい、メガトロナスは再び嗤った。どうしても勝ちたいと思ったのは本当に久々だ。今までの戦いはかつてほどの興奮はなく、ただの作業にほど近かった。向かってくる相手を斬って斬って斬って――動かなくなったらその場所を去る。自らの機体が傷つくことすらない。飛び散った青いエネルゴンの匂いが鼻に強く残るが、それすらいつものことであった。はっきり言えば、飽きていたのだ。戦うことに、勝つことに。

 そんな昨日までの自分をあざ笑うかのように奴は来た。名前は何と言っただろうか。戦闘前に小さく名乗ったのを聞いたような気もするが、すぐに忘れてしまった。それもいつものことだったからだ。自分が倒す相手のことなど、覚えていても意味がない。

 ガィン。刃と刃がぶつかりあった音が、闘技場に激しく響く。ギィン、ガィン。メガトロナスの剣を受けきったのも、弾いたのも、今まで数えるほどしかいなかった。その数えるほどに、今日新たな者が加わった。
 こちらをじっと見据える奴は血に飢えた暗殺者のようであった。なるほど色合いも、闇に溶ける夜の色をしている。目立たず、ひっそりと、影に生きるようだ。思って、それから頭を振る。影に生きる?こんなに強い男が?
 ここで再び自分が勝ってしまったならば、彼は埋もれてしまうのだろうか。ああきっとそうだろう。今まで自分に負けてきた者たちと同じ運命をたどるのだろう。それはひどく――つまらない。

 つまらない。

 剣を持つ手に力を込める。ものすごく長い間戦ってきたように思えるが、その実ほんの数分しか経っていないことに驚かされる。それほどまでに集中していたということだ。だが、お互い体力も消耗してきた。排気が切れる様子は相手には見えないが、動きは若干鈍くなってきている。重たい剣を、何度も交わす。
 相手へぐ、と踏み込むと、剣を弾いて遠ざける。相手が斬りかかってのを避けて前に勢いよく突き出す。寸でのところで相手はそれを回避する。なるほど、早い。そして強い。今まで自分がこの者の存在を知らなかったのが不思議なくらい。
 だが――若い。百戦錬磨、数多の相手と戦ってきたメガトロナスは、戦うことに色々な意味で“慣れていた”。それに比べて目の前の相手は、確かに強いがまだ温い。戦い始めて間もない頃だと思われる。踏み込みが甘い、そうしている内に、メガトロナスに付け込まれる。一度付け込まれれば、あとはなし崩し的にメガトロナスのペースに持って行かれる。
 自分のペースへ戻そうと、相手は一度メガトロナスから遠く離れた。剣を弾いて、自らは羽のように軽く地面へ着地する。しなやかだ。剣では斬れぬ柔軟さのようなものが垣間見える。だが所詮、生きた鉄の塊だ。
 戦いを楽しんでいるメガトロナスがは、と排気をして、再び相手の元へと走り出そうとした時であった。観客が騒ぎ出していた。彼らが見たいのはメガトロナスの圧倒的な制圧であって、こんな茶番を楽しむためではない。苦戦しているメガトロナスなど、誰も見たくはなかったのだ。誰かが叫んだ。早く殺せ、そいつを殺せ。
 戦いを楽しんで何が悪い、とメガトロナスは思う。元々闘技とは楽しむためのものだ。惨殺を見るためのものではない。
 だが、とメガトロナスは思う。奴らの機嫌を損ねるのはひどく面倒だ。それもそれで面白いが――メガトロナスは、小さく嗤う。バイザーの奥の赤いオプティックと、視線を交わした気がした。相手は言っている、自分が勝つと。メガトロナスも同じように語りかける。勝つのは――我だ。

 そうしてついに――メガトロナスの剣は、相手の剣を弾いた。ぐるぐると円を描いて、ガツン、コンクリートにえぐりこむ剣。勝負有り、だが審判はゴングを鳴らさない。

 闘技は相手の死を以て終了とする。

 相手の男は黙り込んだまま動かなかった。剣の飛んで行った方向をぼんやりと眺めた後、諦めたように佇んだ。メガトロナスが一歩、また一歩と近づくと、観客の声援がどんどんと大きくなっていく。響く、反響する。声が。

 メガトロナス、メガトロナスと観客は叫ぶ。彼の名前は記憶に残るが――目の前の、敗者の名前は知られないままだ。
 メガトロナスは、剣を敗者へと向けた。そうして、一言告げる。

「貴様、名前は」

 敗者は答えなかった。ただ一言、死を、と述べただけだった。メガトロナスは、ただ黙って一度だけ剣を振るう。彼のバイザーに一閃、ぴきりと割れた彼を隠す覆面が割れて、見えなかった表情があらわになった。
 それでも敗者は無表情であった。無感情であった。何も思わず、メガトロナスを見て、再び言った。

「死を」

 敗者には死を。

 メガトロナスは、にやり、笑った。

 

***

 

 敗者は思った。あまりに美しい人だ。自分の視覚センサーに異常がなければ、この星いち美しいお方だろう。
 メガトロナスは星の音をしている、と敗者は常々思っていた。意志のない、ただそこにあるだけの星々は、何の意味があるのか時々流れ落ちる時がある。落ちる時、星はいっそう美しく燃え上がる。そのときの炎の色に、はぜる音に、彼は酷似していたのだ。
 彼に負けた時死を願ったが受け入れられなかった。死ぬくらいならその命、いっそ我に預けてはみないか。そう、言われた。

 敗者の名前はサウンドウェーブと言った。

 サウンドウェーブは二度ほどメガトロナスを見たことがあった。一度目は、炭鉱で。彼と同じく炭鉱夫であったメガトロナスは、その時から既にほかの者とは違った目をしていたことを思い出す。奴隷のような扱いをされて尚メガトロナスの瞳は絶望を知らなかった。かといってそれは、希望というものではなかっただろう。いうなれば、野望。ぎらぎらと光る赤い瞳はひどい目にあえばあうほど鋭く光った。
 次に見たのは闘技場だった。サウンドウェーブはほんのたわむれに闘技場に来ていた。彼は予選に落ちていた。そうして本選の試合を、何の感情もなく眺めていた。サウンドウェーブの心を動かすものなど、この世には何もない。そう思っていた時だ。

 メガトロナス。

 圧倒的な強者。王者とも言うべき強さ。それを目の当りにして、サウンドウェーブは感動で震えた。初めてといってもいいほど、感情が大きく揺らいだ。メガトロナスは異常なまでの強さで他を圧倒した。自分こそが王であると、彼は声には出さず叫んでいた。その叫びで、サウンドウェーブははっと目が覚めた気がした。

 あのお方と共に生きたい。

 それからは強くなるために己に大きな枷をかけた。その枷はあまりに大きく、強大で、しかしサウンドウェーブにはそれが心地よいものに思われた。成功すれば、自分はきっと今までとは比べ物にならないほどの“何か”を得るだろう。しかし失敗すれば。サウンドウェーブは心に決めていた。

 あのお方と共に生きるためには、強くなければならない。

 メガトロナスを守れるほど強く。それはおかしい、と人は言うかもしれない。王より強い家臣は、既に家臣ではなくなる。しかしサウンドウェーブはそれを望んだ。そのために努力をした。他の者が圧倒されるほど、彼は自らを追い込んだ。

 そうして機会がやってきた。
 やはりメガトロナスは強かった。王者は王者たる所以があるのだ、とサウンドウェーブは思った。刃の弾かれる音、彼の排気する音、観客の下卑た声。サウンドウェーブへの応援の声など一つもない。当然である、とサウンドウェーブは考える。皆が見たいのは、王者の圧倒的な排斥である。だけど。サウンドウェーブは、隠されたバイザーの下で小さくほくそえんでいた。そうやすやすとやられるわけにはいかない。こちらとて、意地がある。

 勝ちかけていた。その油断が、安堵が、自分を負けへと導いたのだとサウンドウェーブは後に思う。初めて刃を交わして、初めて彼の心を聞いた。退屈していた。倦怠していた。自分が遠く及ばない人は、幸いなことにその場で足を止めていた。チャンスである、と思った。彼は油断して、自分を雑魚と変わりのない者だと思っている。
 ああそれならば。
 勝ちかけていた。
 だがそれは、勝ってはいないということだ。
 勝ちたいと思った。メガトロナスに勝って、自分を見てもらいたいと。何度も交わされる刃の嵐の中、サウンドウェーブはただひたすらそれだけを願った。

 果たしてそれは――叶わなかった。

 王者はやはり王者であった。

 

***

 

 メガトロナスは自分の住処に彼の敗者を招いた。バイザーを砕いたことを詫びるため、という名目で。彼もそれに従った。負けたものはそれに追従すべきだ、という名目で。
 名前は。再びメガトロナスが訊ねた。ナマエ。サウンドウェーブは繰り返す。聞いて何になる。そう返す。

「何になるか、だと?決まっている、これから我の元で働く者の名前が分からねば、不便であろう」

 ただそれだけだ。メガトロナスはふん、と排気した。
 サウンドウェーブはただ静かに首を振った。言えない。言えないということは、名前はあるということか。その問いには静かに頷く。

「ならばなぜ、教えぬ」

 お教えする資格がない。彼は言う。メガトロナスは怪訝そうな顔をして敗者を見た。敗者はやはり無表情であったが、その奥に、わずかに垣間見える感情があった――悔しい。

 悔しい。勝てなくて悔しい。勝てたならば、改めてあなたに願い出ようと思っていた。私をお傍に置いてはくださらないか。

 彼はメガトロナスと共に生きたいと願った時、己を強くするために大きな枷をつけた。それは、勝てたのならば彼の元へ。負けたのならば、潔く死のうというものだった。
 彼は辛くも負けてしまった。死が怖いかと言われればそんなことは全くなかったが、メガトロナスの元で、彼と共に生きられないのが悔しかった。

 そんなことをとうとうと語るサウンドウェーブに、メガトロナスは複雑な心境であった。こいつは欲しいが、負けてやるわけにはいかぬ。死なせるわけにもいかぬ。ふむ、と一つ頷く。何かいい考えはないものか。

「『敗者には死を』」
「……観客共の声か。下らんな」
「……『下らんな』」
「ああそうだ。実に下らん。負けた者を殺すのが、我は一番嫌いだ。なぜかわかるか、若き敗者よ」
「……」

 サウンドウェーブは小さく首を横に振った。分からない。負けたものが死ぬのは当然だと考えていたからだ。

「負けた者が、這い上がって再び我の元へと帰ってくる。その時のそいつの強さは、恐らく以前の比ではないだろう」
「……」
「貴様は、どうだ。もう我に勝つのは諦めるのか」

 サウンドウェーブが頷けば、それまでの男であったと思うだけだった。負けて死を望む姿勢が何よりメガトロナスは嫌いだった。
 サウンドウェーブは、そのとき初めてフェイスパーツを動かした。とはいえ、わずかに眉を下げただけであったが。メガトロナスは、短い付き合いながらも彼の表情について少しだけ理解し始めていた。この顔は、恐らく。

「悩んでいるのか」
「……」
「好きなだけ悩め。出た答えに我が満足すれば、お前を傍に置いてやろう」

 そうして、祝杯だ、我の勝利のな、とにやりと笑ってエネルゴン酒を差し出した。杯を受け取ったサウンドウェーブは、それをこくりと一口飲む。純度の高いエネルゴン酒は、彼の正確な判断を鈍らせる。一口飲んだだけで体中をめぐるそれが、サウンドウェーブの機能を一気に活発化させた。随分強いお酒ですね。ほろりと酔いがまわってきたサウンドウェーブは、静かに空へ思いを馳せる。

 勝ちかけていた。長年望んだ願いがついに叶いかけていたのだ。しかしその願いは、負けてしまったあとでも可能性のかけらを残している。

 メガトロナスの戦う姿を見て、子供の用に、少女のように、心を躍らせた。感情が乏しいとまわりからささやかれる彼が、初めて大きくスパークを揺らしたのだ。どうしよう、と彼は悩む、ふりをする。答えなどとうに、彼のスパークの中にあるにも関わらず。

「おい、敗者よ。お前は我をどう思う」
「……『どう思う』」
「ええいいちいち我の声を抜き出すなよ面倒なやつだな。……我は強いか」

 強い。間髪入れずにサウンドウェーブは答える。強い上に、美しい。
 サウンドウェーブはメガトロナスが流星に似ている話をした。メガトロナスはそれを聞いた後、く、と小さく笑った。

「我が流星とな。おかしなやつだな。我の栄光は一時だと言いたいのか」

 そんなことは、と身を乗り出したサウンドウェーブは、自分が認識しているよりも酔いがまわっていることに気付かされる。くらり。揺れる視界。彼の肩を支えるのは、目の前にいるメガトロナスだけだ。そんな彼にすがるようにサウンドウェーブは声を振り絞った。

 あなたは強い。あなたは美しい。そんなあなたのために、私はこの身全てをささげたいと思っている。

 メガトロナスは目を見開いた。そして、にやりと笑った。落ちた、と思ったのだ。自分を敗北寸前まで追い込んだ有能な戦士を。そうしてこいつは、恐らくよほどのことがない限りは自分を裏切らないだろう。

 全て。メガトロナスは言う。

 そう、全て。この身も、知識も、声すらも。私のスパークが燃える限り、あなたのものです。

「ならば、再び問おう。貴様の名は」
「……サウンドウェーブ」

 その日から、サウンドウェーブの本当の声を聞いた者は、いない。


2013/3/30にpixivにアップしていたものを再掲.

よかったらいいね押してってください!
back